1920年、米国オハイオ州トレド市のYMCAに、YMCAに奉仕する成人会員の昼食会として、主唱者の司法官ポール・ウイリム・アレキサンダーらの働きによって生まれました。クラブが州内各地に展開していくにつれて、それにふさわしい名称をということで「ワイズメンズクラブ(YMCAのためのクラブという意味とともに、キリスト誕生の夜に東方から来た三人の博士たちという意味も含む)」に改名されました。1922年以降、世界的な発展への道を歩み始め、ワイズメンズクラブ国際協会として現在に至ります。
日本での歴史は、1926年(昭和3年)に大阪YMCAの中に結成された「Yクラブ」と「タイガークラブ」が、1928年大阪ワイズメンズクラブとなり、このクラブが国際協会」に加盟したのが、日本のワイズメンズクラブの誕生とされています。そして1930年には神戸クラブ、横浜クラブ、1931年には東京クラブが設立されました。1932年には日本区が組織され、1939年には第1回の日本区大会が開催されました。戦時体制による中断がありましたが、1947年に国際協会に復帰しました。この頃は9クラブ212人でしたが、1951年には会員数が500人を突破しました。1997年には、東日本区と西日本区への分割が行われました。それぞれの区は情報交換、協力体制を取りながら独自の活動を行っています。
茨城ワイズメンズクラブが属する東日本区は、静岡県、長野県、新潟県以東の各都道県および沖縄県にあるワイズメンズクラブで構成され、区内には7つの部があります。茨城クラブは、関東東部(東京の東部地域、千葉、埼玉、栃木、茨城)に所属しています。